裏ドラ!

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

井戸の茶碗

落語で「井戸の茶碗」と言う人情噺がある。

千代田卜斎なるうらぶれた武士がくず屋に家伝の仏像を払い下げ
たところその仏像の中から小判が出てきたと言う事で。その小判を
見つけた仏像の購入者が「仏像を買ったのであって小判は要らない」
とくず屋を経由して千代田卜斎に届けさせるも、千代田卜斎も武士
である分「はいそうですか!」と受け取る訳には行かず。

結局出てきた50両の小判のうち20両を見つけた武士が。10両を
くず屋が…そして残りの20両を千代田卜斎が受け取る事にしては?
と千代田卜斎の長屋の大家が提案するも、それも渋る始末で。

じゃあ、20両は「何かの対価」として受け取ったことにすれば良い
じゃないか?と言う事となり、千代田卜斎が日常使っていた茶碗
を20両で買い求めることにして。

…まぁその茶碗が「井戸の茶碗」と言う大層な名器だったりする
のだけど(苦笑)…。

何でこんな噺を持ち出しているか?と申さば、私自身、「募金」
と言う活動が凄く苦手であると言う事であり。どうしても
「与える側」と「受け取る側」と言う構図をずっと引きずると言う
事への抵抗があり。本当に、井戸の茶碗でなくても良いので、
何でも良いから何かをもらった「対価」として支払う方が…
「やってやってる」だの「やらせてもらった」だのと言う小理屈
をコネずに出来ると言う…。

我ながら面倒くさい性格だなぁ~と思っているけど。
与えるのも受けるのも、正直どんな顔をして行えば良いのか?
よく分からない身として、「対価として買い求める」のであれ
ば抵抗感が薄れると言う。

例えばレディー・ガガのブレスレットが、仮に1万円でも良い、
浜崎あゆみのTシャツが…物凄く高価でも良いから、「何かを
受け取った対価」としての方が参加しやすい方も、結構いるん
じゃないか?とも思う。

募金箱があって、
そこにポーンとお金を投げいれて、
その募金箱に背を向けて帰る道の途中で自身の善行を忘れられ
るような…そんな人間への憧れの気持ちは持ちつつ(笑)、
実際にはちっぽけな人間に過ぎない私としては、「こんな良い
モノを買っちゃった!」と言うカタチでの義援金への参画の
方が正直「やりやすい」。

だから…千代田卜斎の気持ちは良くわかる(笑)。
井戸の茶碗は細川の殿様に300両で買い求められる逸品だった
けど、別に原価10円のものに500倍の値がついても構わないので
…とにかく「売買」のカタチを取りたいと言う奇特な人もいるで
ござるよ、ニンニン♪

でも、
究極は「募金した帰り道に100%忘れる」と言うトコロにありま
すがね(笑)。まだまだ修行と収入が足りんです。ダルビッシュ
様のように慰謝料の御入用もあるだろうに年収の1/10をポンっと
出す文七元結の長兵衛親方のような御気性には本当に本当に
憧れと敬意の気持ちを持っております、ハイ。

スポンサーサイト

百年目

この噺には「致命的な欠陥」があると思っている。

旦那が番頭に苦言を呈する時の「旦那と言う言葉の由来を知って
いるか?」と言う時の「喩え話」が…非常に妙であり。

旦那とは南天竺の「せんたん」と言う立派な木があり、その下に
「なんてん草」なる汚い草が生えていると。立派な木の下に汚い
草が生えていては具合が悪いと言う事で、なんてん草を摘んでし
まったところせんたんの木も枯れてしまった。

せんたんはなんてん草から養分をいただいていて、そしてなんてん
草もせんたんから落とされる露により養分をいただき共に栄える。

せんたんもなんてん草も、お互いに無くてはならない存在と言う事で、
せんたんの“たん”となんてん草の“なん”を取って…だんなん…
…だんなん→旦那になったと。


ハイ?
もう一度良いですか??…持ちつ持たれつ=旦那ではないですよね?
旦那=せんたんであり使用人=なんてん草であり、それが織り成す
ユニットであるお店がせんたんとなんてん草が合わさった言葉ならば
意味が通るけど、旦那=持ちつ持たれつと言う意味じゃねぇじゃネェ
か?と言う…そんな突込みを禁じえない喩え=旦那さんの言葉解説
かと。

「ってか無理があるじゃネェか?」と言う突込みを与えないように
この喩えを上手くたたむ力量=この難しい噺の成否だと思っており、
ここで少しでもつかえてしまったり「ん?」と言う疑念を抱かせた
りした日には、この噺が着地した時に感じるモノもいささか違って
来るだろうと。

泣ける噺だけどそれだけじゃ無い。
うんと笑わし、うんと滑稽さを見せ、そして厳しくそれでいて優しく
叱責し、最後には一緒に泣き、笑う。6代目圓生師匠の百年目の中の
旦那に「これまでどおり後1年、辛抱して勤め上げてくれれば必ずや
暖簾分けをするから…どうかもう1年だけよろしく頼むよ=色々な
不心得は不問にする」とした時の、番頭の平伏の仕方から小刻みに
震えながら今までに起こった様々な出来ごとが去来しているのが
一目で分かるサマなど…僅か数秒の動きだけど見ている者の心を
鷲づかみにする訳で。

その「鷲づかみ」の度合いが「旦那の由来説明」をいかに得心が行く
ようにできるかどうか?にかかっていると。

少しでも「何言ってんの?」と思われたら「ハイ、終了!」であり、
旦那が番頭に対して物腰柔らかに、それでいて鋭利な刃物を喉元に
置いたようなサマで、深い深い愛情を込めて語りかける緊張感が
出せれば…非常に味わい深い噺になるだろうなぁ~と。

下手が高座にかけちゃった日にはどうしようも無い噺になるだろうと
思いながら、ビシっと決まれば鳥肌が立つような噺になるだろうとも。

成否は「無理のある話をそれらしく説明できる能力」かね(笑)?

妾馬とか文七元結などは「ここをハズしたら話がおかしくなる」と言う
場面はそれほど無いと思うけど、百年目については旦那の滑り出しで
噺の成否が大きく違って来ると言う…極めて緊張感のあるモノだな?
と。思っておったりします。

しかしながらニコ動は本当に重宝しますな。

ありがたいありがたい。

ではでは。

文七元結

三遊亭圓生師匠の噺のテキストを読んで。

この噺は初めてお目にかかる代物で、もう初手から世界観に引き
込まれてしまって…落語のテキストを読む際には一度目は黙読、
で、良い噺だと思うと音読をし直してみて、で、その音読の段階
で大よその感情移入的なモノをするのだけど…この文七元結は
黙読の段階で泣いた。

黙読で泣き、音読で泣き、今朝ニコ動で音声だけの高座を聞いて
泣き…これに動画やライブがあったら溶けて無くなるってぐらい。

実に「良くできた噺」だと。

主人公は博打狂いの左官の親方。細川家で開帳される賭場でいつも
負けて帰ってきて、着るものまで賭けてしまって裸に半纏と言う
ナリでその日も帰ってきて。

帰ってくると娘のお久がいないと妻に詰問され。

親方は浮気(男と遊んでいる)でもしてるんだろう?探して来い!
と妻に命じるも妻はそんな娘じゃない。お久と妻は血のつながらない
母子(妻は後添え)だけどお久は実に良い娘で、博打に負けた腹いせ
に妻を殴ったりはたいたりする親方の事を見たくもないのだろうとて
出て行ってしまったのだろう…などなどと言って喧嘩をしていると
来客が。

客は吉原の佐野鎚の藤助どんなる女郎屋の番頭。
聞けばお久は佐野鎚で預かっているとの事でその旨を女将から伝えて
来い、そして親方を連れて来いと命じられて藤助どんが親方のところに
来て。

でも…親方は裸に半纏と言う…「博打に負けて無一物になりました!」
と宣言しているような格好で…見栄もあるので吉原のような華やかな
ところには行ける由もなく。

同行を促す藤助どんに後から行く!と言って、妻の女物の着物を奪い取
って…男が女の汚い着物を着て吉原の佐野鎚に行く。

佐野鎚は以前より親方が左官の仕事を頂戴しているお店であり女将と
親方は顔見知り。佐野鎚に入ると、いかにもお久が女将さんと一緒に
いて泣いていて。親方の家の困窮状態をすべて女将に話してしまっており。

博打狂い、義母への暴力、家には何も無い…などなど。
でも、それを改めろと娘の身で言う訳にも行かず、女将さんにただ改め
ろと説教をしてもらうではなく、お久はその身を女郎屋に売って家に
幾らかの金を入れて、その上で自分からではなく女将さんに一言苦言を
と言うような…

…実に良くできた娘さんであり。

自らの身を犠牲にして家を助け、継母である母親も勿論実の父親もキチン
と暮らせるようにと願うお久の心に打たれた女将さんは、親方に「借金
やら生活に必要な事物を取り戻す(衣服やら何やらはすべて質に入って
いる)のには幾らかかるか?」と親方に聞き、少し多めの50両を融通し、
それをいつ返せるのか?と聞いて親方が答えた来年の8月と言う期限に
さらに上積みして来年の大晦日まで待ってあげると言い。

でもそれを超えたら鬼となってお久を店に出す!と言う。
要は「こんな気丈な娘を女郎に落としてまで博打を打つのか?」と言う
脅しであり、そして本来ならば買い上げて年季奉公させれば良いのに
それをせずに猶予期間を与えると言うのは…女郎屋の女将の心意気で
あり…そして親に直接意見できない娘=お久が親に意見をする機会を
作ってやろうとて。

女将が親方に「親子とは言え金の貸し借りが発生した以上、お久に
礼を言え!」と親方に命じて。…親方は博打の腹いせに妻をぶん殴っ
たりするような気性の親なので、娘に頭を下げるなど今まで考えた
事も無かったものの…

抵抗しながらも頭を下げているうちに、娘の親としての本当の気持ち
が徐々に強くなり…「すまない。いろいろな事があるだろうけど
如才なくこなして欲しい。きっときっとお金を返すように頑張る。
博打もやめる!」として、それにお久が応えたのが…私がいなくなって
(=佐野鎚に預けられる)お母さんの事が心配だから、博打をして
お母さんと殴ったりはたいたりするのは止めてくれ」と訴えるところ
など…。


もう…泣けて泣けて(涙)。

親方が博打を打ち始めたのも女房子供に良い服の一つでも…と言う些細
な事から始まっており、それが悪い方悪い方に行ったわけでもなく、
もともと左官としての腕は良いので、借金やら何やらを返済して心を
入れ替えて仕事に精を出せばきっと借りた金は返せるだろう?と…。

女将さんに借りた50両を懐に吉原を後にして。


…普段の落語のパターンで申さば…。
この50両は「絶対に無くなる」訳で(笑)。

ある噺では居酒屋に置き忘れてネコババされると言うモノもあり、他にも
さんざん「ネタ振り」で使われている博打に使うとかとか…そうした後味
の悪さやらも無くもないと思うけど。

…文七元結の凄いところは「困っている人に恵んであげる」ところにあり。
自分も困っている、だって娘が50両のカタに女郎になる訳で。女郎屋など
そりゃ衛生面でよろしくない行為をする訳で、客に悪い病気をもらって
しまうなどと言う事も考えられる訳で。

でも、それは可能性の話でありそうなる事も無くはない、と。

方やこの噺の「困っている人=自殺しそうな人」であり、今、確実に死ぬ
人間と「女郎に身を落とす“だけ”」の娘を天秤にかけた時に…見ず知らず
の「自殺しそうな人」の皿が下に下がると言う…親方の良くわからん価値観
が後の幸せを生むと言う。

先般書いた「井戸の茶碗」が「貧乏だけど正直で高潔」と言うのが幸運を
呼ぶと言う噺であるのに対し、この文七元結は「どこまで自己犠牲を払える
のか?」と言う、井戸の茶碗よりさらに困窮し圧迫された状況下にある噺
で。

正直、「ギリギリ」であるとは思っている。

「落語って、そんな事かい?」と言う気も少しする(笑)。井戸の茶碗が
見終わった後にカラっとした秋晴れの空のような気分になる噺であるのに
対し、文七元結は梅雨の合間の青空みたいな…湿度の高いモノがある気が
しており。

高座にかける人の力量次第でこの噺は「とんでもねぇお涙頂戴」になる
危険性もはらんでおり、キャラの演じ分けも本当に難しいと思ったりも
して。

親方(涙)→お久(涙)→親方(号泣)→女将(素面の中に深い愛情)

と言うコンボなど、泣いて泣いてを女将にまで引きずってしまうと落語
としては成立しなくなると言う気もしており。

凄い噺だけど、面白く演じるには相当な力量が要るな?と思ったりも
して。ニコ動で「文七元結」と調べると、上手いであろう人もいたり、
ウマっぽい人だけど「やれるのか?」と言う人もいたりして(笑)。

少なくとも三遊亭圓生師匠のこれにおいては「相当に泣き笑いができた
噺」として。少々端折ったのは説明すると野暮になるので、まぁ実際に
見てみてくださいな!と言う事で。

ではでは。

星野屋

今まで触れた事が無かった噺=星野屋。
テンポが良い噺でバカバカしくて良かった。

星野屋なる商家の旦那が愛人を囲った事が奥さんにばれる。
別れろと言われ、50両の手切れ金をもって浅草寺の茶屋=すずし野
のお花ところに行き、別れを切り出す。

お花、「別れるなら死んだ方が良いと言う」
旦那、「それなら一緒に死のうと言い、八ツ(午前2時)に迎えに来る
からと言って出て行く。その際、星野屋には入り婿だとも言う」

で、八ツになり、旦那が迎えに来てお花を橋のところまで連れて行き、
旦那が先に飛び込み…お花は死ぬ気など無いから飛び込まず。50両の
手切れ金は受け取ったまま。

…この辺りまでは「品川心中」と一緒。

で、続きが全く違い。

旦那とお花の間を取り持った重吉がお花のところにきて、旦那の幽霊
が出て、お花を呪い殺すと言う。お花は旦那を裏切って死なせた覚え
があるので呪い殺されない方法は無いか?と重吉に尋ねると「髪の毛
を全部剃って旦那の墓前に示し、金輪際男と言うものはオス猫一匹
寄せませんと誓え」と言われ。

その後重吉のところに髪の毛を持ってかぶり物をしたお花が来る。

重吉、旦那も浮かばれる。そう、もう浮かんでも良いですよ!と言う
と旦那が生きて出てきて(笑)。それまでの色々な行動はすべて嘘
であり、入り婿も嘘、心中も嘘、重吉の幽霊話も嘘と言う…そんな
中でお花が髪の毛を剃ったとは愉快…と思うもつかの間、

お花が差し出した髪の毛は「鬘(かもじ=かつら)」であり。

この期に及んでお花、また嘘をつき。

…その後、そうは言ってもお花は贋金を使って罪で磔になる。あの
50両は偽物で、あんなモノを使ったら罪に問われるんだ!と重吉に
言われ…

お花はお花の母親に「あの50両を持ってきて」とて50両を持って
来させてそれを突き返す。


…想像通り(笑)、「50両が偽物と言うのも嘘」であり。

最初から最後まで皆が皆、嘘ばかりをついておって。
「50両はホンモノに決まっている。返しやがってバーカバーカ」と
なったところにお花の母親が「そんな事もあろうかと50両から3両
くすねておいた」でサゲ。

…皆が皆、気持ち良いほどの小悪党であり当たり前のように嘘を
つき、その嘘がバレたあとも「そうじゃないかと思っていた」と
言うような発展が見られるため…ポンポンッ!と聞ける噺だし、

何より誰に対しても同情しなくても済むと言う(笑)。

井戸の茶碗の対極にある「全員が悪い奴」と言う…気持ちの良い
噺だね?と。最後にお花の母親まで3両くすねるなんてのはサゲ
として秀逸だよね?と感じた次第。

文楽師匠の噺は所作と長セリフが多用されるので、文字として読む
と少々間延びしてしまう感があるけど、この噺はスラスラと楽しく
読めましたよ、エエ。

そんなトコで。

…ためらいなく嘘をつくのは「星野」屋だからか?などと(笑)。

余計な事を言いながら。

ではでは。

心眼・厩火事

桂文楽師匠の噺を文字で読んでいるけど、正直チンプンカンプン
である。「面白いのか?」とすら思ってしまう。特に「心眼」と
言う噺については「不愉快だ!」とすら思った。

「心眼」とは。
盲人の按摩さんの主人=梅喜に対し、本当に人の良い妻のお竹。
梅喜が実の弟から「無駄飯喰らいのど盲が!」と罵られた事を
して梅喜は泣きに泣く。薬師さんに願掛けして治してもらおう
と梅喜さんは薬師さんに参り、妻お竹は自分の寿命が縮まって
も良いから…とまで言ってくれて。
で、満願の日に梅喜の目が開く。
薬師さんのお堂で声をかけてくれた上総屋さんとしばし話し、
その際に「お竹さんは物凄いブサイクで、人は良いけど人間の
顔じゃない」と言う評価を聞き、それでいて梅喜は見てくれが
良いから密かに好きだと言う女性がたくさんいると言う事で。

で、その好きだと言う女性の一人と「釣堀=連れ込み」に入り
モゾモゾしているところにお竹が入って来て胸ぐらを掴む…

と言うところで梅喜の目が覚めて。…つまり夢、と。

お竹が薬師さんへの信心を促すと…梅喜はなまじ目が見えると
ロクな事にならなかったと言う夢の事を思い出し、信心は
止めた!と。
「盲目というものは妙なものだね、寝ている内だけ良く見える」
でサゲ。

…ハイ、気分の悪い噺ですよね(笑)。
寿命を縮めても良いから旦那の梅喜の眼が見えるようにと願った
お竹に対し、梅喜は(夢の中とは言え)あっさり裏切ると。

「あー、気分が悪い」と思っており。

でも、文楽師匠においては「盲人の噺」を非常に得意にしている
そうで。…要は盲人独特の動きをキチンと再現し、噺に動きを
加える事で演目を完成させると言う、文字を読んだだけでは
分かりっこない世界が高座にはある、と。

枝雀師匠のソレもそうだけど、動き・声・表情・スビバセンネ
などなど、文字では分からない世界が高座にはある訳で。文字
だけで「面白い面白く無い」を判断するのはいささか早計だな?
と気付いたりもして。

でも、「厩火事」のような別に動きもクソも無い、噺だけで
落ちる噺においては読んでいて面白い、と。

髪結いの亭主と女房がいて。
亭主は働かずに家にいる。女房は髪結いで忙しく働いている。
ある時、夫婦喧嘩をして女房は家を飛び出し仲人さんのところに
行き「別れる」と言う。別れると言われた仲人が「別れろ!」
と言うと…自分が別れると言ったのに亭主を擁護して。
で、仲人が孔子と孔子の弟子の話(=馬小屋が火事になって孔子
の大切にしていた白馬が死んだ事に対し、馬小屋の管理をして
いた弟子たちを孔子は責めずに弟子たちの無事を喜んだ話)と
麹町のさる(=猿)お屋敷の旦那が瀬戸物収集に凝っていて、
高価な瀬戸物を珍(=狆)客に見せた後で奥方に運ばせたら奥方
が階段を踏み外し。

旦那が心配したのは奥方ではなく瀬戸物で。
それに愛想を尽かせた奥方が実家に帰ってしまうと言う話をして、
唐土(もろこし=孔子の方)か?麹町か??どっちか見定めろ!
と女房に命じ、女房が旦那の大切にしていた瀬戸物を割ってしまう。

そしたら旦那は瀬戸物には眼もくれずに女房の怪我の心配をする。

女房は麹町の猿では無かったと喜ぶも…旦那は「オマエに怪我を
されたらどうやって遊んで暮らせるんだ?」と言う(笑)、

まぁこれはこれで気分が悪い噺ではあるけど、心眼のように大恩
を夢の中で裏切る噺よりは「ツンデレ」っぽくて好感が持てる。

心眼が話芸としては難しい反面、
厩火事は話芸として楽しめるね?と。登場人物も亭主と髪結いの
女房と仲人と言う3人だけと言うシンプルさもあり。

文章で読むには読みやすい噺=厩火事でした。

心眼については映像が残っておるようなので探してみよう、そうし
よう。

ではでは。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。